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無意識から行動まで 精神的、道徳的考察
2007/11/14(Wed) 13:56:23
とある眠れぬ夜に思ったこと
人の行動は時として下心をその目的としてなされることがある。そのメカニズムはどうであろうかと。 1.なんらかの刺激、きっかけ 2.無意識からの衝動 3.こうしたいと思う意識の表層化(下心、本音) 4.その実現に向けての外部への意志の表現。このとき下心は錬られた良心に覆い隠されている。すなわち表現されない。(建て前) フロイトさんも似たようなこと言っていたので比べてみましょう。 2番の無意識からの衝動と3番がフロイトの言うエスにあたりますね で、無意識から表層に来た瞬間に良心をつかさどる超自我(これも無意識的な部分を持つかも)がその内容を吟味しはじめます。でそれをパスしたものが4番、自我として表現されます。 カント流に考えるのならば、1番は直観(経験)ですね。 で2番は悟性でしょうか。感じたものをカテゴライズ、分類する能力ですね。ただ、悟性の場合、難しい時は表層意識も動員するでしょうね。 3番は認識。この時点でやっと自分で判る。そんな感じ。 で、4番の行動についてを実践理性批判で書いているんですね。カントによると下心のある行いは道徳的ではない。その行い自体が目的でなくてはならない。 自転車が壊れて困っている人がいる 1.困っているのが美人だから出会いのチャンスだ!手伝ってあげよう 2.助けなければ! 1番は仮言命法と言われ、「もしAならばBである」といった感じ。 2番は定言命法で、「AはBである」。仮定がないんです。カントはこの定言命法的な行為のみを道徳的に良いと説くわけです。行う者の心の良心を道徳の対象にしたんですね。 其れに対して、ベンサム、J・Sミルの功利主義とプラグマティズムは結果がよければいいじゃないと言うのです。 ~大前の兵法~ 戦場においては敵の動きを建て前とみて、本音は別に探るべし。 交渉においてはそのまま、相手の真意をその挙動、相手の置かれる状況から探るべし。 むやみに真意を悟られぬよう常日頃より心乱れることなきよう努むべし PR
経済と倫理
2007/11/12(Mon) 01:25:21
倫理学の面から見た経済について。
・アダム・スミス 個人や企業が自由に利潤を求めることが経済社会の発展につながる。 ←需要が生じればそれに対応するように供給がおいつくからであり、市場はこのように自然に調整される「神の見えざる手」 だが、産業革命によって生産力が向上したのに対して人々の生活水準が追いつかず、恐慌が生じるようになった。 ・ヘーゲル 私益の追求によって、たとえ経済的に豊かになったとしてもその目標、目的が全体の利益でないかぎり、倫理観が廃れるとした。これによって共同体が崩壊すると言っている。 個々の細胞が自分の栄養摂取に必死になっているあいだに細胞間の結合が弱くなってきてバラバラになるということでしょうか。 今の社会はこの状態に近いと、わしは思っています。 ・ベンサム 動機によらず、その行動がもたらした結果のみを量的に評価しようという発想。快楽の量(強度、持続性、生産性等)の量が多いほど行為の価値が高く善い行いということになる。ここから最大多数の幸福に結びついていく。 最大多数の幸福:社会全体の利益とは、社会を構成している個々人の利益の総和ということになるが、たとえば金で考えた場合、同じ100万円を資産数億円の人が手にするよりも資産0の人が手にするほうがはるかに快楽の量は多くなるだろう。富は平等に分配されるほうが社会の利益に繋がるのである。大企業だけが儲けて社員の給料はそれほど多くないといったような状況は最大多数の幸福には反する。 ・J・Sミル 「満足した豚であるよりも不満足な人間であるほうがよく、満足した愚かな者であるよりは不満足なソクラテスであるほうがよい」といった。 これは快楽の量よりも質を問題にしているということである。 行為の善さの基準:ミルは行為の善さの基準を行為する個人の幸福ではなくて、関連するするひとすべての幸福だとした。人の幸福に役立たない行為は無駄だと考えた。 個人よりも社会全体の幸福を道徳の原理としている。 ここで経済とは関係ないのですが、政治に対する国民の態度を説いたケネディの言葉を紹介します。 「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」 国民が祖国のために出来うる限りのことをすることで国家は国民の安全と権利を保障するためのより強固な力を手に入れることが出来るのです。 個々が利益を要求するのではなく、全体に善い事を働きかけていくことで社会はよくなっていくのではないでしょうか。
劣化した白黒写真を綺麗に復元する簡単な方法
2007/11/09(Fri) 16:20:05
まず劣化した白黒写真をスキャナーで読み込むかデジカメで撮影してパソコンに取り込みます。
それから画像編集ソフトでコントラスト、明暗の調整をすれば簡単に修復できます。わからなければ自動調整という機能を使えば簡単にある程度戻せます。 あとはそのデータを持って写真屋さんへ行けば現像してもらえます。
東大寺と奈良の大仏と行基
2007/11/04(Sun) 07:21:19
東大寺は華厳宗の総本山であり、開山(初代別当)は良弁僧正である。本尊は奈良の大仏として有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)である。
だが、この大仏の造立に尽力したのは法相宗の行基である。行基は貧民救済や治水、架橋などの社会事業に活動したが、民衆を煽動する人物であり寺外の活動が「僧尼令」に違反するとし、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。 その後反国家的でないことから活動が認められ、勧進(資金集め)や土木工事などに利用されるようになる。 彼への民衆からの信頼感の大きさから東大寺の大仏造立に協力が求められた。 ちなみに、 当時の宗派である南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。そのため、寺院では複数の宗派を兼学することが普通であった。東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗る[3]が、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。 ということで、華厳宗の寺に法相宗の行基が関わったことも別に不思議なことではないようです。
高齢者の脳への幹細胞注入が幼児並の可塑性を示す
2007/11/01(Thu) 04:15:33
http://www.sciam.com/article.cfm?articleID=BAB80AA1-E7F2-99DF-3A640AF2C3600666
マウスの海馬への幹細胞注入実験から、老齢のマウスにおいても神経の順応性と可塑性が見られたことから、アルツハイマーやハンチントン病の患者の脳に幹細胞移植することで、これらの症状が軽減できる可能性があるとしているが、未だ動物実験の段階なので、医療への応用はまだ先になるだろう。 |