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東大寺と奈良の大仏と行基
2007/11/04(Sun) 07:21:19
東大寺は華厳宗の総本山であり、開山(初代別当)は良弁僧正である。本尊は奈良の大仏として有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)である。
だが、この大仏の造立に尽力したのは法相宗の行基である。行基は貧民救済や治水、架橋などの社会事業に活動したが、民衆を煽動する人物であり寺外の活動が「僧尼令」に違反するとし、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。 その後反国家的でないことから活動が認められ、勧進(資金集め)や土木工事などに利用されるようになる。 彼への民衆からの信頼感の大きさから東大寺の大仏造立に協力が求められた。 ちなみに、 当時の宗派である南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。そのため、寺院では複数の宗派を兼学することが普通であった。東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗る[3]が、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。 ということで、華厳宗の寺に法相宗の行基が関わったことも別に不思議なことではないようです。 PR
自存って…なんだろう…?
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