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恨みが恨みを呼ぶ 恨みの悪循環
2007/10/22(Mon) 01:44:49
わしが学生の頃、大学の教授が学生に聞いたんですよ
「昔、大和朝廷に属さない民族が日本にもいたんだ。わかるか?」 ある女子大生(山口出身)は答えました 「会津?」 普通ここで会津は出ないだろ!w 熊襲とか蝦夷ですよ!! 大和朝廷って言ってるんだから。 幕府側として最後まで抵抗した会津もやはり憎しだったんですねぇ。 語り継がれてるんですよ。少なくとも一部では。 以下もwikiから 1986年に、敵として戦った戊辰戦争から120年を記念してそろそろ和解を、と友好都市提携を萩市が持ちかけたが、会津若松市民の多くが「いまだ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」として、友好関係の締結は拒否された。 長州もやりすぎました。 会津としては、松平容保は孝明天皇に気に入られ、当然幕府の要職にもついていたわけで、自分達が絶対正義だったわけですから。 それが幼い明治天皇を要した薩長にぼこぼこにされて、さぞ悔しかったことでしょう。 あ、ちなみに、会津戦争の時、長州軍は間に合いませんでした。 それゆえにますます、戦後の処理がまずくなったのかもしれません。直接戦うことで恨みを晴らすっていうことが出来なかったから。 恨みが恨みを呼んで泥沼です。 時間があったら会津戦争のところ読んでみて下さい。 PR この記事にコメントする
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