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国学の流れ
2007/11/19(Mon) 04:37:29
契沖
荷田春満 | 賀茂真淵 | 本居宣長 | 平田篤胤 国学とは江戸時代中期に興った学問。儒教や仏教の影響を排して、日本独自の考え方(古道)を取り戻そうとする学問。 契沖(1640~1701):江戸時代中期の国学者。真言宗の僧。万葉集の研究を通して、国学の基礎を築いた。著書は『万葉代匠記』 万葉集:7世紀後半から8世紀後半頃(奈良時代)にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後と見られる 荷田春満(1669~1736):『万葉集』『日本書紀』や有職故実の研究の基礎を築く。 有職故実:朝廷や公家の礼式・官職・法令・年中行事・軍陣などの先例・典故。また、それらを研究する学問 日本書紀:奈良時代に成立した日本の歴史書である。日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人(とねり)親王らの撰で、720年(養老4年)に完成した。神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。 <六国史> 日本書紀 - 神代から持統天皇まで(?~697年)を扱う、30巻。720年(養老4)完成。撰者舎人親王。 続日本紀 - 文武天皇から桓武天皇まで(697年-791年)を扱う、40巻。797年(延暦16)完成。撰者菅野真道・藤原継縄等。 日本後紀 - 桓武天皇から淳和天皇まで(792年-833年)を扱う、40巻(但し3/4が失われ10巻分のみ現存)。840年(承和7)完成。撰者藤原冬嗣・藤原緒嗣等。 続日本後紀 - 仁明天皇の代(833年-850年)を扱う、20巻。869年(貞観11)完成。撰者藤原良房・春澄善縄等。 日本文徳天皇実録 - 文徳天皇の代(850年-858年)を扱う、10巻。879年(元慶3)完成。撰者藤原基経・菅原是善・嶋田良臣等。 日本三代実録 - 清和天皇から光孝天皇まで(858年-887年)を扱う、50巻。901年(延喜元)完成。撰者藤原時平・大蔵善行・菅原道真等。 賀茂真淵: 荷田春満に学ぶ。『万葉集』の中に「高く直き心」、「ますらをぶり」を見出した。 高く直き心:教説めいたところのない簡素で力強い精神 ますらをぶり:男性的でおおらかな歌風 賀茂真淵は、高く直き心、ますらをぶりを日本人として尊重すべきことを説いた。 ここまでは奈良時代の研究が中心になります。 次の本居宣長は平安時代文学の研究を主に行います。 本居宣長:賀茂真淵をついで国学を学問として大成した。『古今集』や『源氏物語』のうちに女性的で優しい歌風である「たをやめぶり」や「もののあはれ」を見出し、「もののあはれ」から、ものに触れ感じる心の動きこそ自然な人間性であるとして、人間の本来のあり方とした。 また、本居宣長は、漢意(からごころ;儒学や仏教などの教説に感化された心)を、「もののあはれ」を抑圧するものとして批判する。漢意によって人間本来の姿を見失ってしまったとする。 古今集:『古今和歌集』(こきんわかしゅう)。醍醐天皇の勅命によって編まれた初めての勅撰和歌集。平安時代の 延喜5年(905年)成立。平安中期の国風文化確立にも大きく寄与し、『枕草子』では古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたことが記されている 源氏物語:平安時代中期に成立した、日本の長編物語、小説。一条天皇中宮上東門院彰子(藤原道長息女)に女房として仕えた紫式部の書とされている。 平田篤胤(1776~1843):古道と神道を結びつけ、復古神道を開いた。復古神道とは、仏教や儒教の影響を排した純粋な日本の神道に立ち返ろうというものである。復古神道の国粋主義的な思想は、幕末の尊王攘夷論に大きな影響を与えた。 大前の考え いかに万葉集、古今和歌集、日本書紀、源氏物語といえども、文字を使っている以上は、中国からの影響を受けているはずである。文字は中国から伝来したものであるから。 であるからして、日本独自の思想というものを、漢意を排することによって求めるというのは不可能であるといえるのではなかろうか。 たとえ、古墳などから出土される銅鐸などの祭祀の道具から日本の独自性を探ろうとしても、それはやはり大陸からの影響をすでに受けているのである。 また、貴族の教養といえば、漢詩に関する知識、や作詩の能力だったことからも漢意の影響というものは日本人に古くから深く浸透してしまっているといえる。 ただ、平安時期までは、仏教、儒教もあまり深く理解されていないという点はある。無常観が歌われだす以前の問題ですかね。 そこから日本人の考えかたというものをある程度抽出することは可能かもしれない。 わしが思うに、日本の文化とは、先進文化の吸収→昇華の繰り返しであり、その独自性は吸収の速さと、昇華、適用の早さ、巧みさにあるのではないかと思う。 PR この記事にコメントする
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