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我思う故に我あり
2007/09/07(Fri) 00:13:53
思う我は表層意識。顕在意識。
顕在意識が思う我とは顕在意識。
所詮顕在意識が顕在意識を認識しているのにすぎない。

潜在意識はどこにあるか。
思うのを我とするならば、潜在意識は思うことを認識することはできないので、体の欲求ということになろうか。

意識できるところをデカルト的二元論では精神とし、肉体を物質として分けた。が、思えない潜在意識はどこにいくのか。思えない故に精神にあらず。潜在意識は肉体の欲求である。
細胞が細胞内環境を一定に保つように、肉体が体内環境を一定に保つように、意識外の意思が、体の欲求が潜在意識であるとしたならば。
潜在意識とはまさに精神ではなくただ単に個体が個体を維持するために必要な情報を統合したものであるのではなかろうか。

そして、その統合された情報から判断された必要であるもの、を得ようという衝動、欲求が、肉体という多細胞の構造体をある目的へ突き動かすための指令が表層意識として認識されているのではなかろうか。言語として。感覚として。

二進数が潜在意識、コマンドが顕在意識とでも言えようか。

潜在意識が必要とした情報が顕在意識へと登ってくる。
感覚でさえもそうである。感覚器で捉えられた情報は脳で無意識に処理されてから認識されているのだから。

二元で考えるとするならば、細胞や個体が恒常性を維持するための自律的な制御が精神であり、もう一方が物質としての肉体である。顕在意識とは、精神が細胞共同体である肉体を制御し、外界との関係を調整するための経路、または手段である。

人間は大脳皮質が発達しているという。高度な思考が可能だという。
ただそれも複雑化した本能的な情報処理の複雑化に伴う神経回路の増加(指数関数的に増える)を補うための発達かもしれない。すなわち、人間は理性的な動物であると自負しているが、実はこの思考回路もすべて本能の組み合わせの結果起こっていることだとしたら、どうだろうか。

所詮有利に、楽に生きるために脳は情報を統合、処理しているに過ぎないのかもしれない。
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